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うしろの正面だあれ
| 放送年 | 1991年 |
|---|---|
| フォーマット | 劇場版 |
| 話数 | 1話 |
| 原作 | その他 |
| 制作 | Mushi Production |
昭和15年、小学1年生になったばかりの加代子は泣き虫な女の子だ。友達と遊んだり、かわいい校庭の歌を歌ったり、3人の兄たちとふざけたりするのが好きだ。母親が妊娠しており、彼女は姉になることを楽しみにしているが、その責任をまだ十分に理解していない。一方、
作品概要・あらすじ
あらすじ
昭和15年(1940年)、小学1年生になったばかりの加代子は、泣き虫で純粋な女の子。友達と元気に遊び、兄たちとふざけ合いながら、日々の小さな出来事を全身で受け止めて成長していく。母親の妊娠を知り、もうすぐお姉さんになる喜びと戸惑いを抱えながら、戦前の昭和という時代に生きる家族の温もりと切なさを描いた感動の人間ドラマ。みどころ・魅力
① 戦前の昭和に生きる子どもたちのリアルな日常
昭和15年という激動の時代前夜を舞台に、当時の子どもたちが路地裏や校庭で繰り広げる遊びや歌が丁寧に描かれています。現代とは異なる生活様式や人間関係の温かさが、細部のディテールから伝わってくる作品です。② 子どもの目線から見た「家族の変化」
母の妊娠・兄たちとの関係・近所の人々との絆など、加代子の視点を通して家族の変化が繊細に映し出されます。大人には見えない子どもならではの感受性と、成長の痛みが丁寧に描かれているのが本作の核心です。③ 時代を超えて響く、昭和の家族の情感
懐かしい童謡や情景とともに、親子・兄妹の絆が静かに、しかし確かな余韻をもって描かれています。戦前という時代の重さを背負いながらも、普遍的な「家族の温もり」を感じさせる作品です。キャスト・声優一覧
















スタッフ
| 監督 | 有原誠治 |
|---|---|
| 音楽 | 小六禮次郎 |
| 美術監督 | 小林七郎 |
| ED | 白鳥英美子「愛はいつも」 |
感想・評価
最初に見たとき——第一印象と、見ることになったわけ
タイトルで止まっていた。「うしろの正面だあれ」。かごめかごめの歌詞だとわかっていても、単体で並べると不穏さが滲む。ドラマ・日常系のはずなのに、なぜ怖い感じがするのか、と思いながらずっと後回しにしていた。配信もない、劇場版だし、縁がないならそれでいい、くらいの距離感で1991年から放置していた。
実際に観てみると、タイトルの怖さの正体がすぐわかった。昭和15年という時代設定だ。小学1年生の加代子が友達と歌を歌って、兄たちにからかわれて、母親のおなかの子を楽しみにしている。画面の温度は明らかに穏やかなのに、こちらはわかっている。その先に何があるかを。タイトルが指しているのは、子どもたちのすぐ背後に迫っているもので、彼女たちはまだ振り返れないのだ。最初は不吉なタイトルだと思っていたら、怖さは別のところにあった。
子どもには見えない、大人にはわかる——「背後の時代」が主役の映画
この映画の構造は、ある種のホラーと同じだ。観客だけが知っている。昭和15年の、のどかな小学生の日常の向こうに、翌年から何が始まるかを。加代子が覚えたての歌を歌い、校庭で遊び、姉になる準備をしている間、スクリーンの外側にいる私たちは「あと1年ちょっとで太平洋戦争が始まる」という情報を持ったまま観ている。この非対称性こそが、この映画の核心だ。
単なる戦前の子ども映画ではない。加代子の視点では日常系アニメとして完全に機能している。泣き虫で、兄たちにいじられて、母親の妊娠に張り切って——それだけで一本の温かい映画になる。でも「日常」の気持ちよさが積み上がるほど、観客の胸には別の重さが蓄積していく。子どもたちには見えていないものが、私たちには見えているから。
「うしろの正面だあれ」というかごめかごめの問いかけは、子どもの遊びの中に潜む不思議な不安を含んでいる。目を閉じた中央の子が、背後に誰がいるかを当てるゲーム。この映画では、子どもたちは目を開けて元気に走り回っているけれど、背後に迫っているものを感知していない。それを知っているのは観客だけだ。
この構造をより複雑にしているのが、若本規夫や野沢雅子という重量感のあるキャストだ。特に野沢雅子が演じる中根喜三郎は、あのしゃがれた声ですら「昭和の大人」として機能する。子どもの視点で明るく描かれる画面の中に、彼らの演じる大人たちだけが時代の重さを体感しているように感じる。子どもは知らない、大人は知っている。その層の厚みが、単純な戦前ノスタルジーを超えたものにしている。
特に刺さったシーン
校庭で歌を歌うシーンが繰り返されるたびに、じわじわと効いてくる。初見ではただ可愛い子ども映画の一場面として観ていたのが、終盤に近づくにつれて「この歌声が聞こえる日常がいつまで続くのか」という意識が乗っかってくる。同じシーンなのに重さが変わっていく体験は、劇場の暗がりの中でより強く作用した。
若本規夫の中根音吉は、登場するたびに声だけで画面の空気を変える。あの独特の低さと圧は、普通の日常シーンに何か別の層を差し込んでくる。「この声の人が生きている時代」というだけで、昭和感が急に具体的になる演技だった。佐々木望の竹次郎は対照的に軽快で、兄弟間のテンポがよく出ていた。加代子をからかうシーンのやり取りは、あの時代の子どもの関係性としてリアルだった。
母親の妊娠を喜ぶ加代子の「姉になる」準備の描写が、後から思うと一番きつい。本人はまったく無邪気で、その無邪気さが物語のカウンターになっている。台詞でも演出でも「戦争が来る」とは一切言わない。それでも伝わってくる重さの作り方が巧みだった。
読んで見たくなったら——サブスク配信はなし。Amazonで購入できる。
この作品が刺さる人・合わない人
刺さる人
- 昭和戦前の空気を日常の解像度で体験したい人
- 子ども視点の無邪気さと、大人視点の知識のズレを楽しめる人
- 若本規夫・野沢雅子・佐々木望の演技を「この声で昭和を聞く」体験として味わえる人
- 火垂るの墓のような直接的な悲劇より、手前の「普通の日常」の重さに弱い人
- 1991年の劇場アニメの作画・演出の質感が好きな人
合わない人
- はっきりした起伏やドラマチックな展開を求める人(物語の中心は静かな日常)
- 戦前・戦時テーマ全般が気分的に重い人
- 配信で気軽に観たい人(今はAmazonでDVD購入するしかない)
- 「ただの子ども映画」として観ると物足りなく感じる可能性がある人
次に見るなら
戦前の子ども時代を描いた作品として、火垂るの墓はほぼ必ず並べて語られる。こちらは戦争の只中を正面から描いていて、「うしろの正面だあれ」の「まだ日常がある手前」との対比が強烈になる。セットで観ると互いの重さが倍になる。
同じ1991年前後の、日本の過去の日常を丁寧に掘り下げた劇場アニメとしておもひでぽろぽろも近い。こちらは戦争ではなく農村の暮らしへの視点だが、「普通の生活に価値を見出す」という映画の重心が似ている。テンポが静かな作品が合う人向け。
1990年の劇場アニメ少年時代は、昭和の子ども時代を同時代の解像度で描いた作品として直接的な比較先になる。こちらは終戦後の混乱期が舞台で、加代子の「まだ知らない日常」とは別の重さがあるが、「時代の中の子ども」という視点は共鳴する。
配信・視聴情報
| サービス | 配信 | 月額 | 無料期間 | 作品数 |
|---|---|---|---|---|
| ABEMAプレミアムイチオシ | × | ¥680〜(税込) | 無料あり | 1,000+ |
| Amazonプライムビデオ | — | ¥600(税込) | 30日間 | 1,700+ |
| クランクイン!ビデオ穴場 | × | ¥990〜(税込) | 最大1ヶ月 | 7,000+ |
| dアニメストア | × | ¥660(税込) | 31日間 | 7,200+ |
| U-NEXT | × | ¥2,189(税込) | 31日間 | 6,000+ |
| DMM TV | × | ¥550(税込) | 14日間 | 6,300+ |
| Netflix | — | ¥890〜(税込) | なし | 1,600+ |
| Hulu | — | ¥1,026(税込) | なし | 2,900+ |
| Disney+ | — | ¥1,250〜(税込) | なし | 500+ |
よくある質問
まとめ
現時点では「うしろの正面だあれ」の配信サービスへの配信は確認されていません。視聴を希望される場合は、DVDレンタルや図書館の映像資料などを利用されることをおすすめします。昭和の日常を丁寧に切り取った本作は、静かに心に残る1本です。
