※本ページはアフィリエイト広告を含みます。

風の又三郎 (Movie)
| 放送年 | 2016年 |
|---|---|
| フォーマット | 劇場版 |
| 話数 | 1話 |
| 原作 | オリジナル |
| 制作 | Buemon |
父親の仕事の都合で、女の子は都会から田舎の学校に転校する。新しいクラスメートは彼女を避ける。彼女が知りたい男の子がいるが、彼の態度を心配して近づかない。田舎の生活を嫌い始め都会への帰宅を望むが、やがて本物の風の神に出会う。
作品概要・あらすじ
あらすじ
父親の仕事の都合で、都会から東北の山あいにある小さな学校へ転校してきた女の子。新しいクラスメートたちはなかなか心を開いてくれず、孤独な日々が続く。クラスに気になる男の子がいるものの、その不思議な雰囲気と態度に戸惑い、素直に近づけずにいた。やがて田舎の生活に馴染めず都会への帰郷を望み始めた彼女は、ある日、風にまつわる超自然的な出来事に巻き込まれ、「本物の風の神」と出会うことになる。みどころ・魅力
① 宮沢賢治の幻想世界をアニメで体感する映像美
宮沢賢治の名作「風の又三郎」をベースに、東北の自然と超自然が溶け合う独特の幻想世界をアニメーションで表現。山々の稜線や田んぼの風景に宿る神秘的な空気感が、スクリーンいっぱいに描かれます。② 「よそ者」の孤独と受容を丁寧に描く人間ドラマ
都会から来た転校生が、閉じた共同体の中でいかに孤立し、それでも少しずつ関係を築いていくか。子どもたちの心の機微を繊細に掘り下げた脚本が、大人の鑑賞にも十分耐えうるドラマを生み出しています。③ 風の神との邂逅が問いかける「ここではないどこか」へのまなざし
主人公が都会への帰郷を望む感情と、現実を超えた存在=風の神との出会いが交差する終盤の展開は、ファンタジーでありながら「居場所」と「帰属」という普遍的なテーマを浮かび上がらせます。スタッフ
| 監督 | 山田裕城 |
|---|---|
| 音楽 | 辻本梨恵 |
トレーラー・MV
▲ 公式トレーラー(公式YouTube)
感想・評価
最初に見たとき——国語の教科書の記憶と、映像になった違和感
風の又三郎、と聞いて真っ先に頭に浮かぶのは、教科書のあの独特のフォントで組まれた宮沢賢治の文章だ。「どっどど どどうど どどうど どどう」——あの書き出しを中学生のとき音読させられた人間は多いと思う。だからこそ、これが映画になっていると知ったとき、最初は「え、あれを?」という戸惑いがあった。
しかも主人公が女の子に変えられている。原作の三郎ではなく、都会から転校してきた少女が語り手になる構造。見始めてすぐ、その選択の意図が少しわかった気がした。賢治の原作は「又三郎という謎の存在を外から見る子どもたち」の話だが、この映画は「迎えられない側」に徹底的に寄り添おうとしている。転校生が孤立するのではなく、少女自身が土地になじめず、クラスメートを遠ざける——その逆転が、風の神との出会いに別の意味を持たせていた。
「ここじゃない」と思い続けた少女が、風に名前をつけるまで
この映画が描いているのは、帰属の問題だと思う。ただし「田舎 vs 都会」という単純な対立ではない。
少女は都会への帰還を望んでいる。クラスメートは彼女を避けている——いや、正確には「どう接すればいいかわからない」状態に近い。農村の共同体に根ざした子どもたちと、東京の論理で育った少女の間には、言語の違いにも似た断絶がある。彼女が感じる「ここは自分の場所じゃない」という感覚は、思春期特有の過敏さとも重なって、静かに息苦しい。
賢治の原作で又三郎は「外から来た異物」だった。この映画では、少女がその役割を引き受けている。そして彼女が最終的に出会う「本物の風の神」は、外部性そのものの象徴として機能する。土地にも共同体にも帰属しない存在——それが風だ。
面白いのは、少女が風の神を怖れるのではなく、その「どこにも属さなさ」に共鳴していくところだ。孤立を解消しようとするのではなく、孤立そのものを肯定する別の回路を見つけてしまう。これは救済なのか、それとも逃避なのか。映画はその問いに対して、明確な答えを出さない。
賢治の世界観には、自然と人間の境界が曖昧になる瞬間がいくつも出てくる。この映画が映像化する際に一番勝負をかけているのも、そこだと感じた。風の音、草の揺れ、山の色——劇場のスクリーンと音響で体験するとき、それは単なる「背景」ではなくなる。少女の内面が外界に滲み出してくるような感覚、と言えばいいか。スマホで見るとたぶん半分以上こぼれ落ちる。
特に刺さったシーン
終盤、少女が風の神と対峙する場面は息を呑んだ。それまで抑えに抑えていた感情が、ここで一気に解放されるのだが、その「解放」が明るくない。安堵でも和解でもなく、もっと得体のしれない何かに触れてしまった戸惑いと紙一重の感覚。
声の芝居が印象的で、少女役の演技は場面によって音量・速度・呼吸のリズムがはっきり変わる。都会的な台詞まわしから、徐々に言葉が剥がれていくような変化があって、終盤の台詞はほとんど呟きに近い。ああ、この子は今ここにいる、と思わせる。劇場で聞いたときの音の質が記憶に残っている。
序盤、クラスメートたちが彼女を「見ていないふりをして見ている」空気感も地味に刺さった。悪意がないだけに処理しにくい疎外感で、見ているこちらが少し体を硬くする。あの塩梅は映像でしか出せない。
この作品が刺さる人・合わない人
刺さる人
- 宮沢賢治を「教科書の記憶」として持っていて、映像化にどう向き合うか興味がある人
- 転校・引越し・移住など「土地になじめなかった経験」が体に残っている人
- 自然描写・環境音・音響を映画体験の中心に置きたい人
- 結論を出さない、余白の多い語り口が合う人
- 思春期の孤立を「解決」ではなく「記録」してほしいと思っている人
合わない人
- ストーリーの起承転結と感情的なカタルシスをはっきり求める人
- ファンタジー要素に具体的なルールや説明を期待する人
- 賢治の原作を忠実に再現してほしかった人(かなり独自解釈が入っている)
- 劇場未公開・配信なしの現状では実質見る手段がなく、そもそもハードルが高い
次に見るなら
自然の中で少女が「外部性」に触れる構造が近いのはかぐや姫の物語(2013年・高畑勲)。土地・共同体・個人の乖離というテーマがかなり重なる。あちらは都から田舎、こちらは田舎から都へという方向は逆だが、「どこにも居場所を作れなかった者の話」として並べると面白い。
宮沢賢治原作の映像化という文脈では銀河鉄道の夜(1985年・杉井ギサブロー監督)が外せない。擬人化された猫のキャラクターで描かれた死生観は今見ても異質な美しさがある。賢治の「境界の曖昧さ」をアニメーションで突き詰めると何が起きるかが、ここにある。
転校生という装置で共同体の外側を描く作品ならこの世界の片隅に(2016年・片渕須直)も。時代も舞台も違うが、土地の空気・音・光の質を映像に定着させようとする姿勢が似ている。どちらも「場所の映画」だと思う。
配信・視聴情報
| サービス | 配信 | 月額 | 無料期間 | 作品数 |
|---|---|---|---|---|
| ABEMAプレミアムイチオシ | × | ¥680〜(税込) | 無料あり | 1,000+ |
| Amazonプライムビデオ | — | ¥600(税込) | 30日間 | 1,700+ |
| クランクイン!ビデオ穴場 | × | ¥990〜(税込) | 最大1ヶ月 | 7,000+ |
| dアニメストア | × | ¥660(税込) | 31日間 | 7,200+ |
| U-NEXT | × | ¥2,189(税込) | 31日間 | 6,000+ |
| DMM TV | × | ¥550(税込) | 14日間 | 6,300+ |
| Netflix | — | ¥890〜(税込) | なし | 1,600+ |
| Hulu | — | ¥1,026(税込) | なし | 2,900+ |
| Disney+ | — | ¥1,250〜(税込) | なし | 500+ |
よくある質問
まとめ
現時点では、『風の又三郎』(2016年劇場版)は主要な動画配信サービスでの配信は確認されていません。視聴を希望される場合は、DVD・Blu-rayの購入またはレンタルをご検討ください。物理メディアの入手先は各種通販サイトや動画ショップでご確認いただけます。